アクセスカウンタ

市民のための美術入門1 油絵のすすめ

プロフィール

ブログ名
市民のための美術入門1 油絵のすすめ
ブログ紹介
油絵の描き方について、はじめて描く人の身になって、なるべくわかりやすく、無駄の無いように、必要なことを書いていきたいと思います。
このブログは一冊の本のつもりで書いていますので、出来るだけ、下記をクリックして第一ページから読んでください
http://dantsuku.at.webry.info/200510/article_1.html



なお私について知りたい方は私のホームページを見てください。URLはhttp://www5e.biglobe.ne.jp/~atsuhiko です。
姉妹編の「市民のための美術入門2、デッサンのすすめ」
http://brown.ap.teacup.com/dessin/
及び「市民のための美術入門3、抽象絵画のすすめ」
http://dantuku.blog59.fc2.com/
もよろしく。
にほんブログ村 美術ブログへ
help リーダーに追加 RSS

2008年

2007/12/31 09:46
 いかがでしょうか。このブログ、皆様のお役に立っているでしょうか。油絵の楽しさ面白さを知ってもらいたいと思う、私の気持ちは届いているでしょうか。
 また一年が過ぎ、新しい年を迎えます。絵画の世界は誰にでも入れますが、奥は果てしなく深くて際限がありません。一歩一歩進歩を求め、新しい表現世界の広がることを願って進みましょう。
 思うように行かないことも多々ありましょうが、とにかく、この世界に入れたことは幸せなことだと思います。続けていれば道は必ず開けるはずですし、その先には数々の古今東西の天才達が果てしない世界を見せてくれているような、広大無辺の表現世界が広がっているのです。
 幸いまだこの国は平和です。表現の自由も保障されています。徴兵制もありません。じっくり絵を描ける環境があることは実に幸せなことです。その幸せをより良く享受するためにも、描きつづけましょう。
画像
記事へトラックバック 0 / コメント 3


汎美展2

2007/10/28 09:07
これまでは上野の都美術館で毎年三月に開催されてきましたが、来春からは六本木(乃木坂)に新装の国立新美術館に移ります。明るくて広い新会場に作品を出品して見ませんか。
記事へトラックバック / コメント


盗作、オリジナリティーの問題

2006/06/06 10:17
 たまたま和田某とかいう方が話題を提供してくれて、どこまでが盗作でどこからオリジナルかと言ったことが問題になっています。これは先に書いた創造性と係わる大事な問題です。
 今回の盗作騒ぎでは、重ね合わせると殆どぴったり重なり合うくらいの形体、構図、配色まで似ていると言うことで、文化庁の受賞取り消し理由の「盗作と疑われても仕方がない」と言う公式見解がいかにも生ぬるく聞こえるくらいで、この画家をこれまで支持してきた画商や評論家や大学や文化庁の関係者などの見識も疑われかねない状況です。
 不思議なのはこれだけ似ていることが暴露された状況においても、画家自身が「色の使い方などが違うから、私のはオリジナルである」と主張し続けていることです。この画家のオリジナリティーについての見識がまことに幼稚であることを裏付けているだけととればそれまでですが、この程度のアーティストやその取り巻きが案外たくさんいるのではないかという不気味な不安を感じさせてくれます。以前院展でその技巧の派手さを売り物にした若手が、さる著名作家の動物写真の形をそのまま使ったと言うことで弾劾され、しばらく鳴りを潜めていましたが、今では既に返り咲いて結構人気作家になっているようですし。
 もともとこの国の「画壇」とか言う世界では技術偏重の傾向がありました。「うまくきれいにそっくり」に描ける画家が持ち上げられる。その場合過去の有名作家と比較され、それらと何らかの共通点がある方が評価が高いと言うのです。裏返せば評論家や画商の多くに本当のオリジナリティーを見分け見出すだけの力が無くて、過去の作品との比較でしか作品の価値を判断できないと言う状況があるのではないでしょうか。
 もともと日本の近代絵画はその成長過程において西洋の潮流を吸収することに急で、剽窃に近い作品が幅をきかしていた時期が長くありまして、未だにそこから脱し切れていないのです。藤田の再評価などもそれらの流れと無縁ではないでしょう。そこであちこちで行われているコンテストなどでも、どこかで以前見たような作品ばかりが受賞作に選ばれると言うことになっていて、なかなかこれこそオリジナリティーのあると言える作家が日の目を見てこない。
 技術偏重で肝心のオリジナリティーとリアリティーの価値が見落とされがちの状況が、この国の画壇には根強くあるということです。その底には鑑賞者や作品の購買層の見識の低さもあるでしょう。このような背景から、今回の事件も起こるべくして起こったと言えましょう。
 自分の楽しみのために描いている人や、勉強中の人ならいくら人まねをしても良いでしょうが、しかしひとたび自分独自の作品として世に問うときには、自分の作品のオリジナリティーの存在を明らかにして発表すべきです。
 先に、創造することとは、これまでには無かった新たな空間を作り出すことであると書きました。しかしそれはまた、見る人にとってリアリティーを持つ意味のある空間として受け入れられなければ価値が表れ無いのです。作家たるもの「オリジナリティーつまり新たな空間の創造とリアリティーの確立」、この二つのためにこそ心血を注がねばならないのです。
 新たな空間の創造とは新たな構図の創造が基本です。この点で今回の剽窃者の作品は如何に絵の具の塗り方がうまくても、価値の無い駄作または単なる習作あるいは模写に過ぎないと断じるべきなのです。
記事へトラックバック / コメント


創造行為としての絵画

2006/04/10 08:57
 壁掛けの装飾デザインとして描く絵画もあるでしょうが、古今の名作絵画は皆創造の作品でした。創造行為であることがアートの条件です。厳密に言うと無から有を作り出すことですから、創造の行為は天地を創造した神様にしか出来ません。神様を自然に置き換えても良いでしょうが、そういう意味での人間に出来る創造行為は子供を生んで育てることくらいかなと思います。
 絵画においては、無から有を作り出すというわけには行きません。出来るのは無意味を変じて意味のあるものにすることです。ただの白いキャンバスはどうでも良い無意味なただの空間です。これに色と形を描きこむことで、見るものにとって意味のある空間に変えるのが絵画における創造行為です。それもありきたりのではなく、今まで見てことのないような新鮮なあるいは衝撃的な空間を作り出すことが本当の創造でしょう。
 ただ良い加減に色をぬたくっても見るものにとって意味のある空間にはなってくれません。見るものに迫る「何か」が現れてこなければなりません。その「何か」のことを「リアリティ」と言います。迫真力や存在感や躍動感など画面に命を与えるもののことです。画家は画面にリアリティを与えねばならず、より強いそれを得るために多くの天才たちが悩み苦しんできました。
 その方法としては一つには「そっくりに描く」こともありました。もう一つは「美しく」描くことでした。となると、美しいものをそっくりに描くと言うのが最もよいわけで、美女や花や美しい風景の絵がもてはやされることになりました。そして美しい配色や美しい構図が追及されました。しかし必ずしも美しくないものを描いても、リアリティがあれば良いのではないでしょうか。大体、美しさとはなんなのでしょう。次はリアリティの問題をもう少し深く探って見ます。
記事へトラックバック / コメント


絵画は表現です。

2006/03/29 09:50
画像

 表現って何だと言われると困りますが、代表的なものは言葉や文章そして身振り手振り。自分の気持ちを人に伝えようとして形に表したもの。
 抽象表現主義の絵画ならいざ知らず、花や果物や山や木々を描いたような絵でもが、何で表現になるのかと言うと、モチーフの選択や描き方や構図の作り方や色彩の選び方が作者のハートと切っても切れない関係にあるからですね。自分の気に入ったモチーフを自分の気の赴くままに描けば何を描こうとも自然に作者のハートの表現になってしまうのだということ。だから人まねや写真真似で描いたものは表現にならないかもしれませんが。
 私の属している人体デッサンの同好会の年一度の作品展の後の打ち上げ会で、一人のもと校長先生が漏らした言葉がこの辺をよく表していると思います。彼はむっつりしている仲間の一人にこう言いました。「Aさんよ、あんたは無愛想な男だな。でも良いんだよ、絵があるからな。絵があるからあんたみたいに無愛想でも、みんな仲良くやっていけるんだよ」。絵は言葉で伝える以上に、作者に関する情報を人に伝えているのです。そこで絵を描く仲間はおしゃべりだけの仲間以上に深い付き合いが出来るというわけです。もっともこの場合、うまい下手は関係ないが、率直に描きたいものを描きたいように描いている仲間同士でなければばなりませんね。絵を売ろうとか有名になってやろうとかの野心に引きずられている人や、俺はうまいんだ人よりえらいんだと独善に陥っているような人の場合もうまく行かないかもしれません。絵描きにもしばしばいるんですよ、威張りたがる人、自分のやり方を人に押し付けたがる人。
 もともと絵画のみならず音楽や演劇や舞踏も含めて、アートは全て言葉が現れる以前の原始的な身振り手振りなどの表現から派生したものだと思われています。例えば大きなマンモスの群れを見つけた原始人は身振り手振りで仲間にそれを伝えたでしょうが、そのマンモスの大きさやリッパさを伝えようとして絵も描き始めたのではないでしょうか。古代や中世の宗教絵画は明らかに宗教的なコミュニケーションのための絵画でしたし、その伝統は近代や現代にも受け継がれています。
 美術鑑賞における作品の一つの見方として、作品を表現としてみる見方は欠かせぬものです。特に顕著な例としてはゴッホ辺りを源流とする表現主義絵画の流れでしょうが、印象派にしてもそこには陽光礼賛や身近なものへの愛着などの作家の真情が語られて見る人に伝わってきます。
 絵画は多かれ少なかれ感動の表現なのです。これから油絵やデッサンを学ぶ人もこのことを忘れないで下さい。勉強のために描くにしても、少しでも愛着の持てるモチーフを選んだり、自分の気持ちに合った構図や配色を選んだりすることで、いくらかなりと自分の感動を作品に盛り込めるように心がけたいものです。その感動が人に伝わるような作品にするように努力してください。
 いずれにしても表現である以上、作品は発表して人目にさらすべきであると私は思います。
記事へトラックバック 0 / コメント 4


汎美展

2006/02/28 09:20
 絵画は基本的に感動の表現です。表現である以上発表して他人の眼に触れさせなければなりません。発表の機会としては個展やグループ展があり、公募展も一つの選択肢です。その一つとしてこの汎美展(はんびてん)を紹介しておきます。
 会場は上野の東京都美術館。会期は3月13日から24日まで。午前9時から午後4時半までですが初日は午後1時からで最終日は午後2時までです。
 この展覧会は他の公募展とはちょっと違った特色を持っています。
1、審査の無い公募推薦性です。会員の推薦によるのが原則ですが、一般応募の場合は写真などで過去の作品を見せてもらって会員の会議で推薦します。
2、一人はば5mまでの壁面を使えます。作品の大きさと点数は自由です。立体は別規定によります。
3、展示位置は抽籤に基づいて決めます。ジャンルや会員一般の区別無く公平に。
4、入場無料です。気軽に寄って覗いて行くお客さんが多いです。
 以上はこれまでの公募展における差別的な人間関係等のおもっ苦しい雰囲気を除いて、明朗な会場を作るために考えられたものです。なお会のホームページもあります。汎美展または汎美術協会で検索してみてください。
私は今回はアクリルの抽象の150号など3点を出品する予定です。
 
画像

         この冬(F60)
記事へトラックバック 0 / コメント 2


さて

2006/02/11 10:07
 ここまで書いてきて、この先どうするべきか迷っています。別のブログ「デッサンのすすめ」を始めてしまったこともあります。油絵については必要なことは一通り書いてしまったのではないかなと思います。油絵から逸れて構図について書きました。ならば配色についてでも書くべきでしょうか。それとも根本的な絵画とは何かと言った方面へ手を伸ばしましょうか。表現性とかリアリティーに関してとか、あるいは具体的な作品の発表の問題とか。
 いずれにして問題がややこしくて簡単には手が出せません。しばらくお休みにして考えをまとめたいと思います。
何かご質問や要望やご意見は無いでしょうか。遠慮なくコメントをください。出来る範囲でお答えして行きたいと思います。
 
画像

             油彩人体素描(F8)
記事へトラックバック / コメント


動感(ムーブマン)

2006/01/30 09:02
 画面をまとめる要素としてはもう一つ、この動感があります。形態はその配置や組み合わせによって、しばしば流動感回転感、集中間や拡散感などの運動感覚を表します。
 平行線には潜在的に流動感があり、ちょっとした暗示的な操作で表出します。鋭角にも同様な傾向があり尖頂方向に向かう動きをもちます。円や渦巻き型などは回転感を持ちやすく、逆三角形などは転倒の感覚を持っています。
 これらの形態を大きく取り入れた画面は、その動感によって支配されまとまった空間になります。
 動感に似たものとしてリズム感がありますが、これは同形またはそれに近い形が大小や感覚に変化を示しながら複数は位置されたときに生じます。リピートの一種ですが音楽的な軽快さで画面全体をまとめます。
 ゴッホなどに見られるタッチの強調もその良い例です。セザンヌの作品においてはタッチや形態が画面全体に巧みに配置されリズム感と動感とない合わさって、一種の交響状態に達しています。
記事へトラックバック / コメント


まとめる力を持つ形

2006/01/26 09:51
円のように画面をまとめる力を持つ形として、先に挙げた集中線や平行線のほかに、直角に交わる線や正方形や長方形、正三角形、二等辺三角形などがあります。
正方形や長方形等も含めて直角の組み合わせはきちんとした秩序感を示します。特に水平線と垂直線によって作られた構図は秩序間と安定感の代表的な空間です。例えば小津安二郎の映画にはこの構図がしばしば登場して独特の雰囲気を作り出しています。
底面を水平にした正三角形はレオナルド・ダ・ヴィンチが言ったようにそして構図の骨組みとして愛用したように、もっとも堅固で安定した形ですし、。しかしまた三角形はその配置や並べ方を工夫すると鋭角方向への運動感を示すようになります。
以上のような形態を画面のなかに適当に配置するなど、構成の骨組みとして活用することで画面に秩序感や緊張感をもたらすことが出来ますから、風景や静物や人物を描くときも、それらに近い形や部分あるいは全体の骨組みなどを見つけ出して、うまく画面の中に取り入れるように工夫すべきです。
記事へトラックバック / コメント


2006/01/25 09:06
円はそれだけで完結した形です。求心力や遠心力もあり画面の中心になる形です。画面の中にこれが一つ現われるとそれだけでそこを中心にまとまってしまうくらいの影響力の強い形です。子供が落書きにお日様や丸い顔などをを描き込みたがるのはこのためです。それだけに、この形に近いものを画面に入れるときには十分の配慮が必要になります。複数が現われる場合はそれらの配置に工夫が必要です。セザンヌのりんご、ゴッホの向日葵や太陽などなど円の配置で構図を作りそこから生じるリズム感で強い印象を生み出している作品は多いのです。20世紀絵画、フォービズムやキュービズム以降、円や楕円に形態を単純化して画面を構成する傾向が増えています。
記事へトラックバック / コメント


平行線と集中線

2006/01/23 09:57
 リピートの一つの形として、平行線があります。一本の線より平行の2本の線の方が発言力が強く、線に沿った方向の動感も強まります。その本数が増えれば更に視覚に訴える力が強まります。 
 平行線は繰り返しの面白さであると共に、線に沿った流れの感じを生み出します。また平行線で占められた面は一定の平面として認識されますから、いくつか組み合わせたりすると複雑な空間感覚を生じさせます。
 平行な曲線は成長や進行などの有機的な運動感を持ち、動植物的な生命感を表すことになります。
 いずれにしても平行線は構図を作るうえで大きな力を発揮しますので。その扱いには十分配慮する必要があります。
 平行線は静物でも風景でも、自然界にもいたるところに見られます。ただし多くの場合、例えば道路の両端の線などのように、遠近法の原理に従って一点に集中するように見えます。移転に集中する線は見るものの視線を集中点にひきつけますので、これもまた構図の要になります。街路を描くときなどは、例えばユトリロの絵のように、それだけでがっちりとした構図が仕上がります。
記事へトラックバック / コメント


リピート(Repeat)

2006/01/22 10:37
 画面をまとめるやり方としてもう一つ一般的によく使われているのが、同じパターンの繰り返し(リピート)です。
 四方連続模様などがそれで、着物の地模様や、壁紙や包み紙の模様などにも広く使われていて、広い面積の空間でもまとめてしまいます。基本になるパターンをきめて画面全体にそれを繰り返し配置していけばよいのですが、そこに大きさや間隔や角度などの変化を付け加えていくと視覚的なリズム感を生み出すことが出来、運動感や流動感をも生み出すことも出来ます。
 シンメトリー(左右対称)もこれの一種と考えれば、植物や動物や結晶や天体などの自然界もこれで満ち満ちていることになります。一本の木がその固体としてまとまりや品格とか美しさをもつのは、同じように屈曲したり枝分かれする枝や同形の無数の葉や幹の模様などがこの原理に貫かれているからです。
 ゴッホのタッチやセザンヌのりんごからキュービズムの幾何学的に単純化された面の繰り返し、モンドリアンやカンディンスキーの抽象絵画、いずれも同じまたは同じような形の繰り返しが重要な表現要素になっています。モディリアニの人物画のもつミステリアスな優雅さや美しさのもとも、同じような曲線が画面全体にリズミカルに配置されていることにある、といえます。
 静物画や風景画でもモチーフに含まれる同じような形や同じような動きの線に着目して、時に単純化や強調を加えたりして構図を作るようにすれば良いと言うことです。
記事へトラックバック / コメント


バランス(平衡)

2006/01/20 10:05
 絵画に限らず、デザインや写真や映像でも手紙などの文字の配置にしても、バランスが取れているかどうかで見栄えが全く違います。これがうまく出来なくては視覚表現のプロにはなれません。
 基本的にはシーソーを頭に描いて見て頂けばよいのです。その両端に大きさや重さの違うものを乗っけてみてバランスをどうやって保つかを考えればよいのです。それを画面の中で実際にやっていくわけです。
 画面の中に配置する形態や色彩がバランスよく配置されることが望ましく、アンバランスな配置はリアリティを感じさせず、見る人に不快感を与えるか無視されるかです。しかしあまりバランスが取れすぎても退屈になるので、適度に動きやリズム感などの変化を取り込んでアンバランスに近づきながらなおバランスを保つような構図が求められます。
 この辺りのバランス感覚については天性のものもあります。もともと人間は基本的にバランスの感覚を持っており(これが無ければ立ち上がることも出来ないはず)ますから、あまり難しく考えずに天性のバランス感覚を開放するjことで、画面のバランスも表現できるはずです。
 より深く視覚的なバランス感覚を研ぎ澄ますためには、デッサンなどを通じて自然から学ぶのが良いと思います。自然の木々にしても、動物の形や動きにしても、全てバランスの感覚を満たしているものです。あるいは過去の名作で、バランスがどのように取られているかを考えながら鑑賞してみるのも良いでしょう。
画像
記事へトラックバック / コメント


プロポーション

2006/01/18 09:40
 前項の垂直線や水平線のような強い形をどの位置に持って来ればよいのかは、基本的に直感的な判断でよいのですが、ギリシャ時代から始まっている黄金分割の考え方を使って、画面を分割する位置としてそれらの強い形の配置を決めるやり方もあります。古くはレオナルド・ダ・ヴィンチ等のルネッサンスの画家たちから、近代現代のセザンヌやキュービズムの画家たちもこれに従って構図を組み立てています。
 最も簡単なのは1:1の比例関係で、例えば画面の一方の端から画面一杯に正方形を描いてみてそれによって画面を分割するやり方で、印象派辺りの作品でも良く見られます。同様に√(ルート)比例もしばしば使われます。例えば1:1.414(√2)や1:1.7321(√3)の比例関係を画面の中に持ち込むやり方です。
 これらの方法を用いますと不思議に画面に整然とした秩序感が表れます。
 建築ですが、有名なアテネのパルテノン神殿が類似の建造物の中でも群を抜いて美しく見える秘密は、これらの比例関係(主に1:√5)を徹底的に使っているからだと言われています。
 なお古代ギリシャにおいて最も美しい比例関係として挙げられたのは、a:b=b:a+bから導き出される1:1.617・・・です。
画像
記事へトラックバック 0 / コメント 3


垂直線と水平線

2006/01/16 09:47
 例えば一本の電柱が漠然とした風景にまとまりを与えたり、静物画でもワインのビンが構図の中心になったりします。そのように垂直線は画面構成上で発言力の強い形なのです。ですからこの形を持つものの配置には十分気をつける必要があります。
 垂直線は骨格の基本線であり構築的な力強い形ですから、街路や杉林や室内などのように何本もある場合などは上下への強い力が生まれ、それだけで構図が作れます。また、この垂直線を少し傾けると動感が生まれます。セザンヌの作品の多くに少し傾いた縦の線がダイナミックな動きを与えています。
 垂直線が構図に力強さを与えるのに対して水平線は画面に安定感と広がりの感じを与えます。実際のの風景などでは、遠近法に従って傾いて見えてしまうのであまり水平線は現れないのですが、この線が現れる場合は垂直線同様十分その位置には気をつけるべきです。画面の真ん中に入れれば等価の画面が二つ並ぶことになり、中心の無い散漫な画面になります。
 垂直線と水平線が組み合わさったり交差したりする構図は、大変整然とした強固な安定感のある画面を生み出します。
画像
記事へトラックバック 0 / コメント 1


構図

2006/01/14 09:38
 静物画や人物画では、モチーフをどの辺りにどのくらいの大きさで描けばよいかと言う辺りから構図の問題が始まるのではないでしょうか。周囲の空きの広さの問題であったり、人物の足はどの辺で切ったらよいかなどです。風景画ではまず、両方の手を組み合わせて四角い窓を作ったりして目の前にかざしてみて、広い風景の中から画面に切り取る位置や大きさを探したりします。空や地面はどのくらい入れますか、主要なモチーフはどの辺にどのくらいの大きさで入れましょうか、遠景に対して中景や近景をどう配置するかなどなどです。
 一口に「変化とまとまり」と言われます。画面にはまとまりを与えねばなら無いのですが、シンメトリー(左右対称)のようにまとまりすぎるとつまらなくなりますから、ちょっと崩したり動きの感じを入れて変化を付けてやるのが良いということになります。最も一般的なのに、三角形構図と言うのがありまして、例えばワインのビンとりんごを二つ配置するとして、背の高いビンは中心を少しずらしておいて、二つの丸いりんごは他のものとのバランスを考えて配置しましょう、と言うようなことになります
画像

 バランスはシーソーを頭に思い浮かべて考えればよいので、左右が全く同じ大きさで同じ位置にあれば確かにバランスは取れるが動きが無くてつまらなくなりますし、一方が大きくなれば反対側の数を増やしてやるとか、大きい方を支点に近づけたり軽い方を支点から遠ざけたりしてバランスをとるようにすれば変化もでてきてよいではないですか。
 昔から絵描きは構図で苦しんできました。美しいもの(花や果実や女性の顔などなど)を美しく描けば美しい絵が出来るのは当たり前のようですけれども、いくら美しく描いてみても、あるべきものがあるべき位置にあるべきように描かれていてくれないと、どうも作品として面白くないのです。いろいろ工夫するうちに構図次第で画面全体に平静さや躍動感なども表わされることもわかってきました。そしてセザンヌ以後きれいなものをきれいに描くからと言うのではなくて、花がそれ自体で美しいように絵もそれ自体として美しくなるべきだと言うようになってきまして、構図は画面構成等といわれ絵画制作上の最も大きな要素になって来ています。デッサンでも油絵でも水彩画でもデザインでも写真でも映画でも、配色を含めた画面構成抜きに作品のよしあしは語れなくなって来ています。
 ちょっと油絵からは離れますが、しばらく構図について書いて行きます。
記事へトラックバック / コメント


タッチ・要約・省略・単純化

2006/01/08 09:38
画像
               セザンヌ「サントヴィクトワ-ル山とシャトーノワール」
 水彩画でタッチを生かす表現をする画家もいますが、ゴッホやセザンヌのタッチ、ベラスケスやレンブラントやハルスのタッチなどなど、タッチは油絵に特徴的な技法です。
 よほど時間をかけて描く細密描法ででもなければ、多かれ少なかれタッチは画面に残さざるを得ず、それが効果的に用いられるかどうかで作品の見栄えも左右されます。
 タッチを生かして描くに当たってはモチーフの要約(単純化)が問題になります。微細に変化する色調や形も、いくつかのよりおおまかなタッチだけで表現せねばなりません。これは一種の抽象化であり、写生も抽象の一種だと言う説もうなずけます。
 どのように抽象化すべきかは一人一人の工夫にかかっているとしか言えず、先に何人かの画家の名前を挙げましたが、ルノアールのタッチやモネのタッチなどなども含めて考えればそれぞれに個性的なタッチであり、それぞれの画家のそれぞれの工夫によるものであることがわかります。
 唯一ついえるのはそれら名画のタッチは必ず画面構成上に生かされていると言うことです。タッチは結構強い動きをもちますので、画面の中で重要な構成要素になるのです。いい加減にタッチを使うと画面を却って散漫なものにしてしまうこともあります。ただ格好だけゴッホのタッチを真似してみても様にならないのはこのためです。晩年のセザンヌの作品では、タッチの一つ一つが一種の交響効果を発揮して、画面の隅々までが生気を漲らせるようなことになっています。
 タッチによる要約単純化がこのように画面の構成上に重要な役割を果たすように、画面全体でもものの形や色調を要約し単純化して考えることは構図をまとめる上で大切な操作です。有名なセザンヌの「自然は円と円筒と円錐から成り立っている」と言う言葉はこのことを端的に表していて、その後の画家たちに多大な影響を与えることになりました。円や円筒以外にも垂直線や水平線、長方形や三角形や直角や平行線などなど、幾何学的な形態に単純化して考えると画面の緊密な構成がしやすくなると言うことです。
 例えば一本の木を描くのに全体を円(球)と捉えられる場合もあれば円錐形と捉えられる場合もあるでしょう。一見雑然と見える森でもその気になって見直すと基本的な幾何学的な形に整理単純化できる部分があるはずです。
記事へトラックバック / コメント


色を美しく使う

2006/01/03 10:36
 折角絵の具を使うからには美しく使いたいもの。しかしいざ描いてみると色はすぐ濁って冴えを失ってしまう。どうしたらよいでしょう。先にも書きましたが、絵の具の混合には減算混合と言う性質と言うか宿命とでも言うべき問題点があります。混ぜれば混ぜるほど明度と彩度が下がってくるのです。
 赤い絵の具が赤く見えるのは、絵の具の表面が赤い光を跳ね返すからと考えられていますが、実際には白い光の中の、赤の補色の辺りの、つまり青緑の辺りの光を吸収してしまうから赤く見えるのです。赤い絵の具に黄色の絵の具を混ぜると、青緑の辺りの光と共に青紫の辺りの光を吸収してしまう絵の具が出来ます。見た目にはダイダイ色の絵の具が出来るわけですが、吸収される光の範囲が広くなったと言うことで、暗くなってしまうのです。混ぜる色が多くなればそれだけ多くの範囲の光を吸収するようになり、明度も彩度も下がってしまうのです。
 そこで絵の具の色を鮮やかに使うには、出来るだけ混色を避けるのがよいと言うことになります。2色までは良いが3色以上になると濁るとか言う話になります。2色でも、似た色(類似色)同士の混合ではあまり濁りをを気にしなくても良いのですが、少し色相環上ではなれてくると濁ってきます。補色に近くなると明度も彩度もぐっと下がってきます。と言うことで、せめて6色相環(赤。ダイダイ、黄、緑、青、紫)くらいはいつでも思い返せるように、頭に入れておくほうがよいと言うことになります。
 しかしまた同じ青でもコバルトとウルトラマリンでは吸収する色光の範囲が微妙に違いますから、これに他の色を混ぜた場合の効果はだいぶ違うことになります。そこで一つ一つの絵の具についての、他の色との混色の効果の違いを、その絵の具の個性として知ることが必要になります。ルノアールのような色彩画家は、そのような絵の具の個性について熟知していた人ということになるのです。
 もう一つ絵の具の色を美しく使うために考え無ければならないのは、隣の色や画面全体の色調との関係です。つまり配色の問題です。同じ赤でも周囲が茶色の場合と青や緑の場合とでは、赤の鮮やかさが違って見えます。とても鮮やかな赤い花を描いてその鮮やかさを表現したければ、バックに補色に近い色をもってくれな良いのです。明度も影響しますから、暗い青緑の中に赤い花を描けば鮮やかに見えるのです。
 彩度という点から考えれば、彩度ゼロの無彩色をバックに用いても、花の赤は鮮やかに見えます。明度と彩度の両方を考えれば、黒いバックの中の赤は浮き立つように鮮やかに見えることになります。黒に近い青緑のなかならなお鮮やかさは増すでしょう。
 ただし色の美しさは鮮やかさだけではありませんから、全体の配色の中で効果を考えて美しい配色を求めるようにすることです。
記事へトラックバック / コメント


固有色とその変調

2005/12/26 11:39
画像
          「はるうらら」 F8  図をクリックすれば拡大されます
 赤いりんごが赤くて緑の木の葉は緑色、当たり前のことのようだけど、このようなそれぞれのものの固有の色を固有色と言います。
 ということは固有色ではない色があるということ。例えば同じ赤いりんごでも、日向のりんごと日陰のりんごの色は違う。どっちも赤いはずなのに、これを同じ赤で描いたらどっちが日向のものでどっちが日陰のものか区別が付かない。だいたい日向のりんごの日の当たっていない部分の色(陰影部分の色)はどうなんだろう。先に書いた遠近法でもこのような変化があった。同じ木立の緑色でも近くの緑より、遠くの緑の方が青みがかって見えるという辺りのこと。また真っ赤な夕日に照らされた木立は、もういつもの緑色には見えないなんてこともある。
 ということで固有色は必ずあるけれども、そのときの光の当たり具合や遠近やいろいろな条件で変調して見えるということで、その変調を表さないと自然な感じが描けないということす。この辺りが油絵でも水彩でも色を使って描くときには厄介な問題です。
 要するにその時見える色を塗ればよいと言うことだけれども、人間の目は木の葉が緑だと思うとどんな状況でも緑に見えてしまうと言う傾向がある。固有色に執着して変調した色には、なかなか目が向かないものなのです。ですから、光の当たっているところと当たらないところや光の弱いところは別の色に見えるのだということを意識して、ものを見る習慣をつける必要がある。しかるのちに、その変調した色を良く見極めて、色を選び塗っていくべきなのです。
 透明水彩では比較的簡単にこの問題は解決できます。固有色でまず全体的に描いて置いて、あとから影の部分など変調しているところに、青なり黒っぽい色なりを薄く重ねてやればよい。これで陰影による変調は描けます。油絵の場合は比較的に暗いところから描いていってだんだん明るくしていくのだから、青などを混ぜたり補色を混ぜて黒ずませた色などで描いていって、鮮やかな色や白を混ぜた色を上から塗りこんでいくことになる。
 遠近法では遠くのものには空色を混ぜておけばよかった。陰影を描くには何色を混ぜて暗くするかが問題だ。印象派は青を混ぜた。それも主にウルトラマリンであった。もっと暗くしたければ青に補色の朱や茶を混ぜればよい。
 これとは別に、緑なら補色に近い朱や赤を混ぜるという手もある。この辺りはいろいろと工夫してください。
 問題なのはこれら陰影などによる変化を描こうとすると、折角の真っ赤なりんごが暗く汚くなってしまうと言うこと。爛漫と咲く桜の花のあの鮮やかな色を殺さないで、陰影をつけるにはどうしたらよいのだろう。その辺りが油絵画家の苦労のし甲斐のあるところだと思って、いろいろと試みてください。
 印象派は青を混ぜた。あるいは赤いりんごの陰は赤と青の点々の併置で表現した。いずれにしても黒は使わない方が良いと思うよ。
記事へトラックバック 1 / コメント 0


遠近法

2005/12/23 10:15
画像
        岩峰・妙義・午前
風景画を描くときに問題になるのが奥行きの表現、つまり遠いものと近いものの違いの表現です。これがうまく表現できないと、風景画そのものをどう描いて良いやらわからなくなってしまうことにもなりかねません。この表現の仕方を遠近法と言います。
 ルネッサンス以来研究されてきたのが透視遠近法あるいは線遠近法と言われるものです。遠いものと近くのものの形の大きさなどの変化を論理的にまとめたもので、今では絵画ばかりでなくアニメやイラストや建築の完成予想図などに広く使われているものです。
 要点は地平線と自分の目の高さを延長した線が一致すると言うことと、遠ざかるにしたがって地平線に向かってあらゆるものが規則正しく縮小していくと言うことです。道路の両側の線や建物の上辺と下辺の線などのような「地面に平行な平行線は地平線上の一点に集中するように見える」と言うような事です。ここではこれについてこれ以上詳しいことは書きません。図を多用しないと説明しきれないからです。また油絵の具の用法との直接の関係も薄いですし。
 油絵で遠い山と近くの木立を描き分けるにはどうしたらよいか。これは絵の具の使い方の問題であり色彩の問題です。色彩遠近法とか空気遠近法と言われるものです。モチーフと目の間の空気の厚みが厚くなればなるほど色彩が変わると言うことです。空気は透明ですがそこを通り抜ける光の一部を吸収したり散乱させたりします。遠いものほどそこから送られてくる光は厚い空気の壁を通過せねばならず、それだけ吸収や散乱も多くなるのですから、その変化を描き分ければ遠いものと近いものの色彩の違いを描き分けられると言う考え方です。
 当然空気の透明度によってこれは変化します。煙や埃による場合もありますが、主に空気中の水蒸気の量によって遠くのものの見え方は左右されます。乾燥した秋の風景と湿度の高いうららかな春の風景では遠くの山並みなどの見え方は全く違います。
 さてそれでは油絵ではどのようにその違いを表せばよいのでしょうか。最もオーソドックスな方法をここに書いておきましょう。
 晴れた空が青く見えるのは空気が青く見えるということです。それは空気が光の中の青い光を特に強く散乱させるからです。ということで遠くのものは遠ければ遠いほど青く見えるのだと思ってください。ですから遠くのものの色には遠ければ遠いほど青の絵の具を混ぜればよいのです。
 それからもう一つ、空気が光を散乱させると言うことは、遠いものはうすいベールを通してみるのと同じだと言うことです。当然ものはぼやけて見えます。色彩は薄くなりコントラスト(強弱の対比関係)が弱まります。ということは遠ければ遠いほど白味が増すということです。この二つの原理をあわせれば、遠くのものの色に白と青を加えてやればよいということになります。
 逆に近いものはコントラストを強調してやればよいのです。濃い色や暗い影ははっきりと濃く描けばよいし、明るいものははっきり明るくして描けばよいのです。更に色彩の性質も生かせればよいでしょう。色彩には進出色というこちら側に向かってでてくる色と、後退色と言う向こうに引き下がっていくように見える色があるのです。
 進出色はオレンジ色を頂点とする暖色系の色であり、彩度が高いほどその性質も強いのです。逆に青を頂点とする寒色系の色と白や灰色や黒の無彩色は後退色です。その意味からも青を加えることは遠い感じを出すことになるのですが、灰色を混ぜても遠い感じは表せます。近くものは赤やダイダイや黄色などのいろを多く使えばよいことになります。
 
記事へトラックバック / コメント


月別リンク