アクセスカウンタ

市民のための美術入門1 油絵のすすめ

プロフィール

ブログ名
市民のための美術入門1 油絵のすすめ
ブログ紹介
油絵の描き方について、はじめて描く人の身になって、なるべくわかりやすく、無駄の無いように、必要なことを書いていきたいと思います。
このブログは一冊の本のつもりで書いていますので、出来るだけ、下記をクリックして第一ページから読んでください
http://dantsuku.at.webry.info/200510/article_1.html



なお私について知りたい方は私のホームページを見てください。URLはhttp://www5e.biglobe.ne.jp/~atsuhiko です。
姉妹編の「市民のための美術入門2、デッサンのすすめ」
http://brown.ap.teacup.com/dessin/
及び「市民のための美術入門3、抽象絵画のすすめ」
http://dantuku.blog59.fc2.com/
もよろしく。
にほんブログ村 美術ブログへ
help RSS

中村正義展、村山槐多展

2011/12/23 09:58
中村正義は天才と言われながら日展を飛び出して反日展の東京展を主宰した人。ピカソのように絶えず自分の殻を破って新しい表現に挑んだ人。生身の自分をさらした激しい表現をした人。
村山槐多は知る人ぞ知るの夭折の天才画家。ややはりただひたすら自分のロマンを追及した人。
明日日帰りで、名古屋市美術館で中村展を岡崎市美術館で村山展を見てきます。中村展は2月に練馬区美術館に回ってきますがいくらか規模が縮小されるようです。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


さようなら原発

2011/09/20 09:18
 昨日(9月19日)の明治公園は思い思いのゼッケンや幟ばたなどを携えた6万の人波で埋まっていた。大江や落合や澤地などが舞台上から語り掛け、大いに盛り上がった。その後3コースに分かれてデモ行進。
 私は手作りの「原発ハイツカキット国ヲ亡ボス」と書いた幟ばたを携えて、汎美の4人とともに渋谷方面コースを歩き、解散後近くで乾杯。高揚感のある一日でした。
 しかしマスコミの報道がごくお座なりのものでしかなかったことにはがっかり。なぜでしょう。あれだけの人が全国から集まり意思表示を行ったのだから、もっと大きく取り上げあられてしかるべきだと思うのだが。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


9月19日

2011/09/19 08:49
今日は明治公園でさようなら原発の集会があるので、行ってみます。「原発はいつかきっと国を亡ぼす」と書いた旗を持っていきます。どのくらいの参加者があってどのくらい盛り上がるのでしょうか。教員の間はしばしば集会やデモに参加していましたが、久しぶりです。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


原発

2011/06/17 08:56
 原発の怖さがわかってきて頭を離れません。幸い反原発の国民運動の核が現れたようです。この問題で意思表示をしたい方は是非「さようなら原発1000万人アクション」で検索してホームページにアクセスしてみてください。署名活動と50000人集会(9月19日明治公園)。原水禁が主体ですが呼びかけ人には大江健三郎や坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴、落合恵子、鎌田慧などが名を連ねています。
 目下制作中の150号の抽象作品の題名に「メルトダウン」を考えています。メルトダウンしたからには、もうその容器を開けることもできずにそのまま半永久的に保存するしかない。長い年月の間には再び放射能漏れを起こす可能性は高い。考えて見ると本当に恐ろしい状況です。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


こんな時代だから

2011/06/02 09:28
 大きな災害に見舞われ、原発事故の不安が重なり、心の内が揺れるような毎日です。こんな時にのうのうと絵など描いてて良いのかとさえ思います。
 しかしこんな時だからこそ描くべき絵があるのではないかとも思います。心の内面に変化が起きれば色彩や形態の好みが時に大きく時に微妙に変化します。それをそのまま正直に作品に投影していけば、その時期にしか描けない絵が描けるはずです。
 絵画は表現です。能力を表現するだけではなく、心のうちの変化をも表現できるのです。写生はあまりこのような表現には向きません。もっと自由な表現的なあるいは抽象表現などの絵画の方が向いています。ゴッホに始まる表現主義的な絵画やシュールリアリズムなどの流れがあります。鉄の時代に起きたキュービズムもその時代の表現といえましょうし、その流れの先に生まれた抽象絵画は純粋な表現性の発露でしょう。
 自分の殻にこもらずに、このような時代だからこそできる表現性へのチャレンジを試みてみてはいかがでしょうか。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


久しぶりの夫婦展

2010/12/05 08:42
 今日、12月5日から12日(日)まで、西武新宿線小平駅南口から南西歩2分のシラヤアートスペースで家内との二人展を開催します。広くて明るい会場です。抽象表現の50号から200号までの16点と、風景やヌードなどの油絵小品13点を並べます。スケッチブックややデッサンのファイルも置きます。家内は60号までの日本画と水彩を19点です。彼女も女子美で片岡球子から日本画を習い、卒業後は中村正義や近藤孔明、佐藤多持といった異色の日本画家の指導を仰いで来ていますから、日本画や水彩と言っても綺麗ごとのそれではありません。共に暮らして共に描きながらこれだけ異なった様式を持つ夫婦画家というのも異色の存在ではないかと思っています。
画像
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


五月の海

2010/06/12 09:37
画像
 
 毎年この時期に写生会を行っている。今回は犬吠碕。太平洋に突き出した岬の上の灯台が、多くの画家に描かれてきたところ。ネットで見つけた民宿に2泊。参加者は9人。この民宿が家族的なサービスで、また食事の豪華さで良かった。銚子電鉄犬吠駅前にある。一泊7000円くらいで良くここまでと思う。過当競争ではないのかな。
 幸い3日とも好天。メンバーそれぞれで、外川の漁港や灯台周辺や長崎方面など思い思いに描いた。夜は夕食に一杯機嫌で、お互いの絵を見て語り合う会。和やかに過ごした。
 私はここには既に数回来ているのだが、そのたびに描く場所が決まっていて、海岸のホテルの前に突き出した岩の上。結局そこで午前と午後の二枚、殆ど同じ構図で岬と灯台の油絵(P10)を描いた。初日の午後と二日目の午後に描いた方は満潮で、午前2回で描いた2枚目は干潮。潮の満ち干で渚の様相が全く変わってしまうのには驚かされ、対応に困らされもした。
 いずれにしても、ほどよい潮風になぶられながら潮騒の音を聞きながら、刻々変わる海と岩を相手に描くことはまことに楽しい。とはいえ一筆毎に何らかの工夫が必要で、色調、遠近感、(空間と空気の感じ)陽光の変化、それぞれに難問だった。
 二日目の朝は水平線上に雲があって日の出は大幅に遅れたが、三日目の朝は見事に紫の水平線上からしずしずと赤い円盤が昇ってくれた。二回の朝飯前の一稼ぎで、2枚の大判のスケッチもできた。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


国立新美術館

2010/04/17 08:25
 5年毎見直しの、会場使用希望団体に対する抽選会が4月15日に行われました。24枠に対して、応募団体が23であったため選外はありませんでした。おかげで我々の汎美展も、2017年までこれまで通りに3月に開催できることになりました。
 もともと一室使用団体だけ切り捨てると言う無茶な方針を美術館が出したために、一室使用団体(22)のうち11の団体が集まって連絡協議会を作り、館側と交渉を繰り返した結果幾つかの倍率抑制策を出さざるをえなくなったため、このような結果になったと思われます。私の新聞投稿も、いくらかなりと影響を与えたのかもしれません。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


国立新美術館に物申す

2010/01/07 10:20
明日(8日)の朝日新聞の私の視点欄に、私の国立新美術館の姿勢に関する投稿が掲載されます。
長いものには捲かれろの、旧態依然のお役所仕事に腹が立っています。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


日展

2009/12/13 09:15
 今国立新美術館で開催中で、多くの観客で賑わっています。私は暫く見ていません。以前は日本画くらいは覗いてみていたのですが。なぜなら殆どの作品に個性も独創性も表現意欲も感じられないからです。
 あるのは「きれいなものを如何にきれいに描いて見せるか」の技術だけ。きれいなものをきれいに描けば、誰にでも判りやすいきれいな作品が出来るのは当たり前。それでは、絵というよりも壁掛け装飾デザインと呼ぶべきものではないかと私は思っています。
 もう100年も前に始まって既に古典的な考え方になっているはずの抽象絵画やシュールリアリズムの傾向すら、一切認めようとしない旧套墨守のあのような展覧会が、未だにこの国の代表的な展覧会として国立美術館の企画展示室を除く10室全部を使い6週間にわたって開催されていることは、国際的な視野から見ればこの国の美術界の後進性を明らかに示しているようで恥ずかしくさえ感じます。
 私はこのブログでもお分かりいただけるように、具象描写の絵画の価値も大いに認める者ですが、絵画は表現であるという現代美術の常識に与するものです。絵画は描きたいものを描きたいように描くことで、みずからの内なる感動を表現するものだと思っています。だとすればこの国を代表する展覧会なら、そこには多様な表現様式の作品があって良いはずで、アブストもシュールもあって良いはずですし、もっと先鋭的なコンテンポラリーアートの作品だってあっても良いはずです。
 日展の、特に洋画部門の作品は売り絵展であり、あるいは売るための看板の展覧会ではないかなと思います。そんな展覧会に国立美術館をほしいままに使わせている、この国の文化行政の無定見に腹が立ちます。
記事へナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0


花の季節

2009/04/05 09:53
 これからしばらく、色とりどりの花が咲き乱れて、目を楽しませてくれます。
 ただ見るだけでなくこれを描いてみましょう。描ためには深く観察せねばならず、その過程で多くの発見があり、見る喜びも倍加するでしょう。
 花の美しさがどこから生まれるのかが問題です。まず目を引くのは色彩に美しさでしょうが、シンメトリーやリピート(繰り返し)などの要素で緊密にまとまった形の美しさもあります。それに花弁の薄さや柔らかさの微妙な触感。いずれをも生かすように描くのはなかなかの大事業です。
 光の当て方や見る角度を工夫して最善の構図を選びましょう。あの色彩の鮮やかさをどうして絵の具に置き換えれば良いか、色彩の鮮やかさを損なわない陰影の色彩の選び方など難問が次々と現われます。
 描き始めて驚くのは、花が一時もじっとしていてくれないことでしょう。花弁が開いたり閉じたりその角度が変わったり。すばやく描かねば成りませんが、一度の塗りでは色の鮮やかさや陰影の深さが表せません。花弁の薄さが大事と思っても絵の具はボタボタと厚ぼったくなってしまいます。
 しかし何とかしてこの美しさを表したいと言う気持ちに支えられて描き進みます。バックの色彩の選定も大切です。バック次第で花の色の美しさの大きな差が出ます。次々現われる難問に一つ一つ対処しながら描き進むことで、大きな前進をかちとることができるでしょう。
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0


和田義彦

2008/11/12 18:32
 今日の夕刊(朝日)を見ていてオヤッと思った。見たような名前の画家の個展の広告が結構目立つ位置に掲載されていたからだ。それも銀座きっての大きな画廊、セントラル美術館を借り切っての興行だ。
 はてと考えてみてすぐ思い出した。このブログの二つ前に剽窃者として紹介した人だった。2006年の6月6日のブログだからまだ2年と5ヶ月しか経っていない。もうはやほとぼりが冷めたとでも思ったのだろうか。
 ところで、セントラル美術館を借り切ればウン100万円の借館料がかかる。この人それほどの金持ちだったのだろうか。いや、きっとスポンサー(画商)がついているのだろう。すでに彼のブログサイトもできていて、そこには、あの事件のことには一言も触れないで、新作や事件以前の旧作らしき作品が掲載されている。それを見れば知らない人は上手い絵描きだと思うだろう。いかにも売らんかなの気配濃厚だ。
 しかし他人の作品をそのまま写したような作品を多量に描いて自作として発表してきた、と言うことはどういうことなのかをちょっと考えてみれば、彼にオリジナリティーに対する意識も能力も基本的に欠如していることは見え見えではないか。ことほどさように上手くさえあればオリジナリティーなど問題ではないと言う、手先の技術を偏重するこの国の画壇(画商や評論家と売れる画家とそれらの顧客などからなる)の通弊が見えてきて薄ら寒い気持ちになる。
記事へナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0


2008年

2007/12/31 09:46
 いかがでしょうか。このブログ、皆様のお役に立っているでしょうか。油絵の楽しさ面白さを知ってもらいたいと思う、私の気持ちは届いているでしょうか。
 また一年が過ぎ、新しい年を迎えます。絵画の世界は誰にでも入れますが、奥は果てしなく深くて際限がありません。一歩一歩進歩を求め、新しい表現世界の広がることを願って進みましょう。
 思うように行かないことも多々ありましょうが、とにかく、この世界に入れたことは幸せなことだと思います。続けていれば道は必ず開けるはずですし、その先には数々の古今東西の天才達が果てしない世界を見せてくれているような、広大無辺の表現世界が広がっているのです。
 幸いまだこの国は平和です。表現の自由も保障されています。徴兵制もありません。じっくり絵を描ける環境があることは実に幸せなことです。その幸せをより良く享受するためにも、描きつづけましょう。
画像
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 3


汎美展2

2007/10/28 09:07
これまでは上野の都美術館で毎年三月に開催されてきましたが、来春からは六本木(乃木坂)に新装の国立新美術館に移ります。明るくて広い新会場に作品を出品して見ませんか。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


盗作、オリジナリティーの問題

2006/06/06 10:17
 たまたま和田某とかいう方が話題を提供してくれて、どこまでが盗作でどこからオリジナルかと言ったことが問題になっています。これは先に書いた創造性と係わる大事な問題です。
 今回の盗作騒ぎでは、重ね合わせると殆どぴったり重なり合うくらいの形体、構図、配色まで似ていると言うことで、文化庁の受賞取り消し理由の「盗作と疑われても仕方がない」と言う公式見解がいかにも生ぬるく聞こえるくらいで、この画家をこれまで支持してきた画商や評論家や大学や文化庁の関係者などの見識も疑われかねない状況です。
 不思議なのはこれだけ似ていることが暴露された状況においても、画家自身が「色の使い方などが違うから、私のはオリジナルである」と主張し続けていることです。この画家のオリジナリティーについての見識がまことに幼稚であることを裏付けているだけととればそれまでですが、この程度のアーティストやその取り巻きが案外たくさんいるのではないかという不気味な不安を感じさせてくれます。以前院展でその技巧の派手さを売り物にした若手が、さる著名作家の動物写真の形をそのまま使ったと言うことで弾劾され、しばらく鳴りを潜めていましたが、今では既に返り咲いて結構人気作家になっているようですし。
 もともとこの国の「画壇」とか言う世界では技術偏重の傾向がありました。「うまくきれいにそっくり」に描ける画家が持ち上げられる。その場合過去の有名作家と比較され、それらと何らかの共通点がある方が評価が高いと言うのです。裏返せば評論家や画商の多くに本当のオリジナリティーを見分け見出すだけの力が無くて、過去の作品との比較でしか作品の価値を判断できないと言う状況があるのではないでしょうか。
 もともと日本の近代絵画はその成長過程において西洋の潮流を吸収することに急で、剽窃に近い作品が幅をきかしていた時期が長くありまして、未だにそこから脱し切れていないのです。藤田の再評価などもそれらの流れと無縁ではないでしょう。そこであちこちで行われているコンテストなどでも、どこかで以前見たような作品ばかりが受賞作に選ばれると言うことになっていて、なかなかこれこそオリジナリティーのあると言える作家が日の目を見てこない。
 技術偏重で肝心のオリジナリティーとリアリティーの価値が見落とされがちの状況が、この国の画壇には根強くあるということです。その底には鑑賞者や作品の購買層の見識の低さもあるでしょう。このような背景から、今回の事件も起こるべくして起こったと言えましょう。
 自分の楽しみのために描いている人や、勉強中の人ならいくら人まねをしても良いでしょうが、しかしひとたび自分独自の作品として世に問うときには、自分の作品のオリジナリティーの存在を明らかにして発表すべきです。
 先に、創造することとは、これまでには無かった新たな空間を作り出すことであると書きました。しかしそれはまた、見る人にとってリアリティーを持つ意味のある空間として受け入れられなければ価値が表れ無いのです。作家たるもの「オリジナリティーつまり新たな空間の創造とリアリティーの確立」、この二つのためにこそ心血を注がねばならないのです。
 新たな空間の創造とは新たな構図の創造が基本です。この点で今回の剽窃者の作品は如何に絵の具の塗り方がうまくても、価値の無い駄作または単なる習作あるいは模写に過ぎないと断じるべきなのです。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


創造行為としての絵画

2006/04/10 08:57
 壁掛けの装飾デザインとして描く絵画もあるでしょうが、古今の名作絵画は皆創造の作品でした。創造行為であることがアートの条件です。厳密に言うと無から有を作り出すことですから、創造の行為は天地を創造した神様にしか出来ません。神様を自然に置き換えても良いでしょうが、そういう意味での人間に出来る創造行為は子供を生んで育てることくらいかなと思います。
 絵画においては、無から有を作り出すというわけには行きません。出来るのは無意味を変じて意味のあるものにすることです。ただの白いキャンバスはどうでも良い無意味なただの空間です。これに色と形を描きこむことで、見るものにとって意味のある空間に変えるのが絵画における創造行為です。それもありきたりのではなく、今まで見てことのないような新鮮なあるいは衝撃的な空間を作り出すことが本当の創造でしょう。
 ただ良い加減に色をぬたくっても見るものにとって意味のある空間にはなってくれません。見るものに迫る「何か」が現れてこなければなりません。その「何か」のことを「リアリティ」と言います。迫真力や存在感や躍動感など画面に命を与えるもののことです。画家は画面にリアリティを与えねばならず、より強いそれを得るために多くの天才たちが悩み苦しんできました。
 その方法としては一つには「そっくりに描く」こともありました。もう一つは「美しく」描くことでした。となると、美しいものをそっくりに描くと言うのが最もよいわけで、美女や花や美しい風景の絵がもてはやされることになりました。そして美しい配色や美しい構図が追及されました。しかし必ずしも美しくないものを描いても、リアリティがあれば良いのではないでしょうか。大体、美しさとはなんなのでしょう。次はリアリティの問題をもう少し深く探って見ます。
記事へかわいい ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


絵画は表現です。

2006/03/29 09:50
画像

 表現って何だと言われると困りますが、代表的なものは言葉や文章そして身振り手振り。自分の気持ちを人に伝えようとして形に表したもの。
 抽象表現主義の絵画ならいざ知らず、花や果物や山や木々を描いたような絵でもが、何で表現になるのかと言うと、モチーフの選択や描き方や構図の作り方や色彩の選び方が作者のハートと切っても切れない関係にあるからですね。自分の気に入ったモチーフを自分の気の赴くままに描けば何を描こうとも自然に作者のハートの表現になってしまうのだということ。だから人まねや写真真似で描いたものは表現にならないかもしれませんが。
 私の属している人体デッサンの同好会の年一度の作品展の後の打ち上げ会で、一人のもと校長先生が漏らした言葉がこの辺をよく表していると思います。彼はむっつりしている仲間の一人にこう言いました。「Aさんよ、あんたは無愛想な男だな。でも良いんだよ、絵があるからな。絵があるからあんたみたいに無愛想でも、みんな仲良くやっていけるんだよ」。絵は言葉で伝える以上に、作者に関する情報を人に伝えているのです。そこで絵を描く仲間はおしゃべりだけの仲間以上に深い付き合いが出来るというわけです。もっともこの場合、うまい下手は関係ないが、率直に描きたいものを描きたいように描いている仲間同士でなければばなりませんね。絵を売ろうとか有名になってやろうとかの野心に引きずられている人や、俺はうまいんだ人よりえらいんだと独善に陥っているような人の場合もうまく行かないかもしれません。絵描きにもしばしばいるんですよ、威張りたがる人、自分のやり方を人に押し付けたがる人。
 もともと絵画のみならず音楽や演劇や舞踏も含めて、アートは全て言葉が現れる以前の原始的な身振り手振りなどの表現から派生したものだと思われています。例えば大きなマンモスの群れを見つけた原始人は身振り手振りで仲間にそれを伝えたでしょうが、そのマンモスの大きさやリッパさを伝えようとして絵も描き始めたのではないでしょうか。古代や中世の宗教絵画は明らかに宗教的なコミュニケーションのための絵画でしたし、その伝統は近代や現代にも受け継がれています。
 美術鑑賞における作品の一つの見方として、作品を表現としてみる見方は欠かせぬものです。特に顕著な例としてはゴッホ辺りを源流とする表現主義絵画の流れでしょうが、印象派にしてもそこには陽光礼賛や身近なものへの愛着などの作家の真情が語られて見る人に伝わってきます。
 絵画は多かれ少なかれ感動の表現なのです。これから油絵やデッサンを学ぶ人もこのことを忘れないで下さい。勉強のために描くにしても、少しでも愛着の持てるモチーフを選んだり、自分の気持ちに合った構図や配色を選んだりすることで、いくらかなりと自分の感動を作品に盛り込めるように心がけたいものです。その感動が人に伝わるような作品にするように努力してください。
 いずれにしても表現である以上、作品は発表して人目にさらすべきであると私は思います。
記事へ驚いた ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 4


汎美展

2006/02/28 09:20
 絵画は基本的に感動の表現です。表現である以上発表して他人の眼に触れさせなければなりません。発表の機会としては個展やグループ展があり、公募展も一つの選択肢です。その一つとしてこの汎美展(はんびてん)を紹介しておきます。
 会場は上野の東京都美術館。会期は3月13日から24日まで。午前9時から午後4時半までですが初日は午後1時からで最終日は午後2時までです。
 この展覧会は他の公募展とはちょっと違った特色を持っています。
1、審査の無い公募推薦性です。会員の推薦によるのが原則ですが、一般応募の場合は写真などで過去の作品を見せてもらって会員の会議で推薦します。
2、一人はば5mまでの壁面を使えます。作品の大きさと点数は自由です。立体は別規定によります。
3、展示位置は抽籤に基づいて決めます。ジャンルや会員一般の区別無く公平に。
4、入場無料です。気軽に寄って覗いて行くお客さんが多いです。
 以上はこれまでの公募展における差別的な人間関係等のおもっ苦しい雰囲気を除いて、明朗な会場を作るために考えられたものです。なお会のホームページもあります。汎美展または汎美術協会で検索してみてください。
私は今回はアクリルの抽象の150号など3点を出品する予定です。
 
画像

         この冬(F60)
記事へナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 2


さて

2006/02/11 10:07
 ここまで書いてきて、この先どうするべきか迷っています。別のブログ「デッサンのすすめ」を始めてしまったこともあります。油絵については必要なことは一通り書いてしまったのではないかなと思います。油絵から逸れて構図について書きました。ならば配色についてでも書くべきでしょうか。それとも根本的な絵画とは何かと言った方面へ手を伸ばしましょうか。表現性とかリアリティーに関してとか、あるいは具体的な作品の発表の問題とか。
 いずれにして問題がややこしくて簡単には手が出せません。しばらくお休みにして考えをまとめたいと思います。
何かご質問や要望やご意見は無いでしょうか。遠慮なくコメントをください。出来る範囲でお答えして行きたいと思います。
 
画像

             油彩人体素描(F8)
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


動感(ムーブマン)

2006/01/30 09:02
 画面をまとめる要素としてはもう一つ、この動感があります。形態はその配置や組み合わせによって、しばしば流動感回転感、集中間や拡散感などの運動感覚を表します。
 平行線には潜在的に流動感があり、ちょっとした暗示的な操作で表出します。鋭角にも同様な傾向があり尖頂方向に向かう動きをもちます。円や渦巻き型などは回転感を持ちやすく、逆三角形などは転倒の感覚を持っています。
 これらの形態を大きく取り入れた画面は、その動感によって支配されまとまった空間になります。
 動感に似たものとしてリズム感がありますが、これは同形またはそれに近い形が大小や感覚に変化を示しながら複数は位置されたときに生じます。リピートの一種ですが音楽的な軽快さで画面全体をまとめます。
 ゴッホなどに見られるタッチの強調もその良い例です。セザンヌの作品においてはタッチや形態が画面全体に巧みに配置されリズム感と動感とない合わさって、一種の交響状態に達しています。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


続きを見る

トップへ

月別リンク

市民のための美術入門1 油絵のすすめ/BIGLOBEウェブリブログ
[ ]